これからの「正義」の話をしよう 読みました。

折角の連休だったので読みかけだった「これからの「正義」の話をしよう」をやっと読み終えました。







文章は読みやすく問題点を順序だてて示していくので読んでる最中は特に後戻りすることもなくドンドン読んでいけました。
ボリューム満点で、情報量が凄いので1回読んだだけじゃ把握しきれませんでしたけど。

しかし、サンデル教授の提示する問題に、自分の意見をぶつけつつ思考実験をしていくことで自分の考え方や主体が何処にあるのかを認識することが出来ました。

僕は特に哲学書などは読んできた事がないですがそれでも興味深い内容でしたね。

基本的に彼自身がコミュニタリアンの立場での見解と言っているように、応えはコミュニタリアン側へ流れていきますが、でも本を読んでいるのは自分なのですから自分の意見とぶつけてみてどちらがより説得力を持つのかを思考実験すればいいわけです。

どちらかと言うと僕自身はリベラル派でありながらある一定部分に関しては滅茶苦茶に自由主義的な考えです。
思いっきりダブルスタンダートで、矛盾を抱えた意見を持ってます。
ある意味、自己の欲求に対しては率直です。

しかし、ここにこの本で提示された問題点を考えることで幾らかは答えが違ってくる。
というか短絡的な捕らえ方ではなくて様々な視点で見ようとする事が出来る。
そう感じました。


この本では後半に少し触れていますが、僕自身傾倒してしまうのは「富の再分配」について。
これは日本だからこそもっと考えなくてはいけない。

格差社会では個人が生まれた瞬間に既に格差を生み出しています。
子供は生まれる場所や人は当然選べません。
しかし生まれた瞬間に格差を背負うのです。

それは教育サービス・医療サービス・コミュニティ等で子供の頃から大きく格差が生まれてます。
資産があれば高度な教育サービスを受けることが可能だし、何かあっても高度な医療サービスを受けることも出来る。
当然、そういう場には同じ背景で育った人たちが集まるのでそこでのコミュニティが生成されます。
この時点で格差間でのコミュニティの壁はより強固になり、人的ネットワークの構成にも隔たりが出来ます。

社会人になれば凄く実感出来ますが人的ネットワークをどれだけ持っているか、上流に持っているかは仕事をして行く上でも大きく差が出ます。

それを個人の能力の差というのは説得力がないんですね。
そもそも生まれたときからそこへチャンネルを持つことが出来ないのですから。

つまりは親の資産が直接子供の能力や文化体系にまで及ぼしていると思います。

それこそ相続はかなりの財を没収、もしくは相続出来ないでもいいくらい。
財は生きている間に使い、経済活動に貢献するべきと考えます。
没収した財は公共サービスの充実や医療に割り当てる等、国民であれば平等に高度なサービスを受けれるようになるべきです。

それと、高齢者社会では若ければ若い人ほど負担が強く押しかかり同じ国民の老後でもその生活の未来像には大きく格差が生まれます。
仕事もなく、賃金すら低下している中でです。

幾らかの負担は高齢者にも担ってもらわなければなりません。

僕的には現状は公平ではないと考えてます。


ではこれを政治に反映するには?と考えたときここでも格差は生まれます。
なぜなら全ての人口で選挙をしても高齢者の方が人口が多いので若い人が選挙に行っても結果を覆すことが難しいからです。
高齢者は当然、自分達を保護する政策を出すところに票を入れますよね?

比例選挙制があるならば若い人の1票の価値はもっと高くあるべきとも考えれると思います。

自分自身の負担も増えていくことは容易に理解できますが、それでも未来の子供達に少しでも良い国であって欲しいなと思うのです。
(ここでは僕自身コミュニタリアン的な考えをしています)

子供達が高校ぐらいになって将来を考えたら夢も希望もない国なんて悲しいですからね。

だからこそ、平等な「富の再分配」は必要だと考えるのです。
(だからといって社会主義国家になれば良いて事ではないです)

等と普段から考えている事も本の中の事例と照らし合わせて考えることが出来ました。
非常に有意義な時間を過ごせました。

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